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2016年の振り返り

2016年12月29日|Categories: 日々, 経済・社会|Tags: |

なるなるとは聞いていたんですが、今年もやっぱり年の瀬になり、仕事納めや帰省でちょっとゆったりモードになりつつも、お正月の準備やらで慌ただしくもある、年末の東京っぽくなってきました。 今年も終わりということで、2016年を振り返って何か一筆残しておこうと思い立ったわけですが、普段ろくに更新しないくせに振り返りだけは毎年やるなと、自分は後ろ向きな人間なのかと思って履歴を辿ってみたら、去年は一切何も書いておらず、記憶力の減退を憂慮せざるを得ません。 今年はというと、何より法人化したことが最大のトピックです。2014年7月7日にフリーランスとして独立をし、いろいろな方にお世話になって何とか2年を過ごし、今年の同日に渋谷税務署に届け出を出した暑い夏の日は、おそらく生涯でも大きなターニングポイントとなることでしょう。 事業面では、引き続きさまざまなお仕事に関わらせて頂き、多くの素晴らしい方と出会えたことで充実したものとなりました。ここに御礼申し上げます。 一方で、世の中とは予想以上に魑魅魍魎が跋扈しているのだと思い知ったのも今年でした。これも私の経験不足がゆえなのですが、社会人となって以来、いわゆる東証一部といった大手企業にしか勤めた経験がなく、それら企業はもちろん新しいビジネスを興して業績を伸ばしていく側面はあるのですが、それと同じほど既存ビジネスの毀損を防ぐ、要するにコンプライアンス遵守に重きを置いており、「ヤバイこと」や「やっちゃいけないこと」に対し、経営陣やお偉方はもちろん、末端の社員も敏感だったというのがあります。 しかし自分が中小企業になってみて、このステージにいる人たちは「失うものがない」とばかりにイケイケドンドンなのだと思い知りました。それも、ブラック企業よろしく社員に猛烈に働かせるとかいうレベルではなく、明らかに法律の隙間をぬって明確に人を騙しにいく、要するに限りなく黒に近いグレーな詐欺行為を働く企業が本当に数多く存在するのだと知りました。 多くの人が嫌う「ITのめんどくささ」を解消することは対価をもらうに値する価値だと思いますが、中には狡猾に金を奪いにいく集団が本当に多く存在していますので、皆さん本当にお気をつけください。私自身や会社が騙されたわけではないんですけども。 ミクロな視点ではそんなところですが、一方で世界に目を向けてみると、やはり印象深いのはイギリスのEU離脱(Brexit)と、ドナルド・トランプさんの当選ではないでしょうか。 世界中で行けない場所はないほど交通網が発達し、インターネットが時間と距離をゼロにし、世界中の人が多くの価値を共有できる日が来たのに、それがもたらしたのが、さらなる貧富の拡大と排他的な傾向というのは、皮肉以外の何ものでもない気がします。 ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』が出版されたのがちょうど1年ほど前で、これ自体は名著でお時間があればぜひオススメなのですが、リフキンさんが示唆する世界にたどり着く前に世界は違う圧力、貧しさによる民衆の蜂起だったりうねりだったりによって大きく変えられてしまいそうな、フランス革命のような何かが起こりそうな気配もあります。 特に今回のトランプさんの当選により、アメリカの国力(特に外交力)は弱まらずとも強まることはない、強めるわけにいかない状況に陥りそうで、そうなると間隙を縫ってロシアが台頭してくるのは目に見えており、必然的にシリアや中東問題はより解決困難になることを考えると、果たして世界情勢は良い方向に向かっているのだろうかという懸念が残ります。「そんなの知ったこっちゃねえよ」ってみんなが思ってるから今の状態があるのかもしれませんが。 話が壮大になりましたが、今一度自分の専門分野に戻ると、今年は「AI」と「VR」がホットなワードだったかなと思います。両者は来年以降もテック系の中心にいるでしょうし、動画マーケットなど含め拡大することは間違いないわけで、何とかその大きな渦潮の中にかじりついていきたいなとは考えております。 振り返ると言いつつ未来、かつ漠然とした話ばかりとなり、まさに便所の落書きと相成りましたが、とにかく言いたいことは今年もありがとうございました、来年もよろしくお願いします、ということです。

楽天メソッドが世界進出している件と、表音文字と表意文字の違いによる広告手法

2016年8月10日|Categories: EC, Webサービス|Tags: , |

Web、特にECを生業としている人なら一度は聞いたことがあるワード、楽天メソッド。ひとことで言うなら、強烈に縦長の商品ページ、です(参照:小鳥ピヨピヨ)。 大きな画像、原色を基調とした色づかい、極太フォントなどで構成され、肝心の購入ボタンが最も探しにくいという、ECの根底を揺るがすようなデザインのことです。 常識的に考えれば廃れていくはずですが、この潮流は一向に変わることなく、むしろスタンダードとしてすっかり定着しました。 このデザインを評して、「海外では考えられない」という意見があります。たしかに海外のLPは、ページの要素はとにかくコンパクトに、CTA(Call to Action=購入)ボタンは目立つようにと指南されています。 この日本と海外の違いについては、いろいろ考え方がありますが、個人的には表音文字と表意文字の違いも大きいだろうと考えています。日本語(漢字)は文字がそのまま意味を持ち、絵や写真としての役割も果たします。たとえば「熊」という文字は、それ1文字だけで「bear」以外の何者をも示しません。 一方で英語は表音文字であり、文字が組み合わなければ意味をなしません。基本的に、「b」という文字は「b」という文字以外の何も示しておらず、「b」「e」「a」「r」という4文字が揃ってはじめて「熊」という意味を持ちます。 従って、英語をはじめとした表音文字において、何かをテキストで伝えようとするとその数は膨大になるため、表音文字圏の広告は自然と文字が少なくなった、という理由です。 と、もっともらしいことを語ってはみたものの、それが崩れているのではないかというのが今回の主旨。 業務上、Wordpressなどのテーマ販売サイトをよく見るのですが、以下は、世界で最も使われているテーマの1つでもあるAvadaのページです。   スクロールお疲れ様でした。 右側部分にCTAボタンがあるため、厳密には楽天メソッドとは違いますが、メイン部分は伝説のカステラに勝るとも劣らない縦長さ。 今のところ、頻繁にこのようなページを見ることはありませんが、もしかしたら楽天メソッドはこのまま世界標準化してゆくのではないかという懸念、もとい兆候を若干感じています。 こうなると、はたして人間工学的にどんな優位性があるのか、MITあたりに分析してもらう必要があるのではないかとやや真剣に思います。

商号を株式会社に変更しました

2016年7月18日|Categories: お知らせ|Tags: |

去る2016年7月7日、商号を個人事業主から株式会社に変更致しました。 振り返りますと、個人事業主として独立したのがちょうど2年前。屋号にどうしても「7」という数字を付けたかったため、縁起かつぎに7月7日に目黒税務署に開業届けを出したあの日。とっても暑かったのかどうかは忘れましたが、何となく覚えています。 そして2年後の同じ日、今度は法務局に書類を提出し、帰りに奮発して青山のまい泉で一番高いカツ丼を食べたことは、おそらく2年後も何となく覚えていることでしょう。 ここに至ったのも、出会った皆さまのおかげと感謝しつつ、恩返しできるようこれからも頑張っていきたいと思う所存です。 とはいえ急に社員が増えることもなく、基本的には今までと同じことをしながら、事業の拡大をしていくつもりです。七転び八起きの2年間でしたが、より多くの失敗を繰り返しながら、少しずつでも進んでいければと殊勝なことを書き記したいと思います。 ほとんど個人ブログだったこの場も、これからは企業っぽいことを書くべきかなと思いつつ、元々ろくに書いていないのでまぁ成り行きだなという気もします。 というわけで、今後ともよろしくお願い致します。

ECzine様で連載を開始しました

2016年5月13日|Categories: EC, お知らせ|Tags: , , |

本日より、翔泳社さまのECzineにて連載を開始させて頂きました。 リマケ、ウェブ接客、カゴ落ち 顧客の動線別に見る、コンバージョン率改善のソリューション 翔泳社さまではMarkeZineに続き2媒体目となります。編集長の倭田様には大変お世話になりました。この場をもって御礼申し上げます。 引き続き、何卒よろしくお願い致します。

裁判で争われているのは、そのほとんどが「心」の問題だという話

2016年4月3日|Categories: 日々, 経済・社会|Tags: |

先日、とある方と食事した際に出た話題。 私は、「裁判」というと「有罪か無罪か」をテーマに議論していると認識していた。報道などを通じて触れる裁判の世界も、多くは冤罪や、現行犯に近い形で逮捕され、傍目からでも有罪がほぼ間違いないと思われる凶悪犯の話題が多い。 もちろんそれはメインではあるものの、しかし実際の裁判の現場で争われるのは「心」の問題だという。 砕けた表現を使えば、「やったかやってないか」は大方の場合で決まっており、明らかな証拠が揃っている中で「やってない」と言い張ることはほぼないらしい。 では裁判とは何をする場かというと、大抵が「やったけどわざとじゃない」という点を争うのだそうだ。 たとえば殺人事件なら、「殺したか殺してないか」ではなく、「殺したけど殺そうとは思ってなかった」と主張することがほとんどで、これが認められれば減刑される。「どれだけ減刑させられるか」が弁護士の手腕であり、その逆が検察官のそれだ。 これはどんな裁判でも争われる重要な焦点だが、特に顔見知り間でのレイプが難しいそうだ。レイプというと、多くの場合女性が見知らぬ男に突然襲われるというケースを想定しがちだが、割合的には身内、配偶者や交際相手などからの被害が圧倒的だ。 内閣府男女共同参画局:男女間における暴力に関する調査 その上で、実際に裁判となると、原告側には「合意(和姦)だったか否か」が厳しく追求され、原告側が「合意ではなかった」という証拠を提出しなくてはならない。そう考えると、なんと約25%の女性がそのような経験を持つというのに、実際に裁判にまで至るのは極端に少ないのもうなずける。 たしかに、夫婦間のレイプを犯罪とするのは、素人目にも相当ハードルが高そうだと感じる。実際に、長年夫婦間のレイプが有罪として認められた判例で著名とされているのが、32年も前の昭和59年の広島での事件だ。これだって、内容をよく確認してみると、被告のDVから逃げた原告に対し、被告が友人とともに輪姦するという、事実であれば酌量の余地もない完全な犯罪である。 配偶者間での強姦を成立させた裁判例等 もちろん、これ以降にも有罪が成立したケースはあるだろうが、それ以上に、(レイプの場合ほとんどがその被害者であるという意味で)多くの女性は泣き寝入りしているのであろう事態は容易に想像がつく。 話が逸れたが、もし自分がこのような「心情」を争う事件の裁判員になったとして、有罪無罪を見極める自信はまったくない。心情的にはやはり弱い立場に加担してしまうだろうし、とはいえ無実の罪を着せるわけにもいかない。誰も見ていないセックスが合意だったか否か、が他人にわかるだろうか。 まぁこれは裁判員制度の問題ではなく、「人を裁くのも結局人だよね」ということに帰結するので、解決というか、誰もが納得する方法としては、100%絶対に間違いのないウソ発見器を作る、ということにしかならないだろうけども。

iPhoneロック解除問題で、FBIでも最良のソリューションを探すのに苦労するものなのか

2016年3月29日|Categories: 経済・社会|Tags: , |

一部巷を賑わせている、iPhoneロック解除問題。簡単にまとめると、テロの犯人が使っていたiPhoneのロックを解除しろとFBIがAppleに詰め寄っている、というやつです。FBIとしては捜査のため、Appleとしては他のすべてのユーザのために互いの主張を譲ることはなく、「開けろ!」「イヤだ!」の繰り返しで遂に法廷闘争にまで発展しました。 しかし、FBIは突然「開ける方法見つけたからもういいわ」と言い残し裁判を放棄。結局セキュリティ関連会社のツールによってiPhoneを解除する、という方向に今日現在向かっています。 個人的にはApple側を支持してはいるけども、お互いの主張は共に理解できるところもあり、一概には判断しかねる問題です。ただ今回思ったのは、「FBIでも最適なソリューション探すのに時間かかるもんなんだ」ということ。 FBIといえば、世界中の情報が集まる場所でしょう。行ったことないので憶測ですが。そんなFBIの人が、ちょっとしたIT系の人に「iPhone開けたいんだけど」とか相談すれば、今回のCellebrite社(実際にここを使ったかは不明)くらい、すぐに分かりそうな気がするのだけど、そういうわけでもないのだろうか。 よく中小企業で「何故これだけのために、こんな大掛かりなシステム組み込んでんだ」という事例があって、まぁ間違いなくベンダーにうまく言いくるめられたんだろう。そういう詐欺に近いやり口は本当になくしたいなと思うんだけど、やはりそこには「じゃあ何が最良のソリューションなのかわからない」という壁がある。しかし、FBIのような組織でもそういったことがあるのかと思うと、世の中すべてがそうやって回ってるんだろうなというちょっとした絶望感も禁じ得ない。 だって、Cellebrite社にいくら払ったかは知らないけども、間違いなくAppleとの訴訟費用ほどではないでしょう。1,500ドルくらいかもという報道もあるし。 それともあれかな。そこまで全部織り込み済みで、「Appleは協力もしないし、セキュリティもザルだし、しょーもねーな」という印象操作をしたいのかな。FBIは。でも何の得もないもんな。

グレン・フライが死んでしまった

2016年1月19日|Categories: 日々|Tags: |

「一番好きなバンドは?」と聞かれると、僕はいつも「うーん」と少し考えた素振りを見せてから、「イーグルスかな」と答えていた。 相手がその名を知っているかもわからないし、まぁ答えとしてはあまりかっこよくはない、少なくとも女の子にモテそうな模範解答ではない。 彼らを意識して聴きはじめたのは、1994年の「Hell Freezes Over」というアルバムからだった。当時僕は17歳で、ラジオからたまたま流れてきた「Get Over It」という曲がとにかくかっこよくて、すぐにCD屋さんに走ったのを覚えている。 もちろん、あの「Hotel California」や「Tequila Sunrise」を作った人たちだとは知っていたんだけど、そのライブアルバムのあまりの完成度というか、歌と演奏のうまさに驚嘆したものだった。 僕はすっかりイーグルスの虜になり、東京ドームで行われた再結成ツアーにも一人で足を運んだ。17歳の高校生が、50がらみのおじさんたちに囲まれたわけだ。 今でこそ慣れてしまったが、あのライブが始まる前の雰囲気は忘れることができない。5万人がワサワサと話している声、BGMが途切れるたびに囃し立てる歓声と口笛、そして、客電がパッと消えた瞬間に全員の期待がステージ中央に注がれる瞬間は、当時の僕にはしびれるような体験だった。 1曲目から「Hotel California」のイントロがはじまった時のあの地響きのような光景は、いまだに思い出すことができる。 彼らはその後、2回日本に来たはずだ。僕はまた東京ドームに足を運び、ステージが豆粒みたいにしか見えなかった高校生の頃よりもいい席で彼らのステージを観た。 その時のツアーの名前は「Farewell I Tour」。もう50代後半だった彼らのステージを日本で見られるのは、おそらくこれで最後だろうと思っていた。グレンはステージ上で、「Farewell tour(さようならツアー)という名前だけど、Farewell I Tour(さようならツアーの1回目)だからね」とおどけていたものだった。 その7年後、彼らはなんと新作まで発表しやってきた。僕は大枚をはたいて、彼らを間近で観られるチケットを購入した。 とにかく覚えているのは、あのハンサムなドン・ヘンリーがえらく太ってしまったこと。まぁちょっとショックではあったけども、今考えれば健康的でよかったのかもしれない。 もともと、ルックスはパッとしないんだ。はっきり言って芋臭い、ネルシャツにジーンズで歌う、いかにもアメリカのレッドネックという感じだった。 イーグルスは、ほぼ全員がボーカルをとれる稀有なバンドだった。キャリアのすべてを通して、リード・ボーカルはドン・ヘンリーであることに疑いはないが、グレンも、ジョーも、ティモシーもみな超一流に歌も演奏もうまく、一人でいくつもの楽器をこなすプロ集団だった。 特に彼ら全員がハーモニーを聴かせる「Take It to the Limit」という曲には、ライブに同行したイーグルスをあまり知らない友人が、鳥肌を立てて興奮していた。まるで機械で奏でているように正確無比、それでいて圧倒的なライブ感で迫る、まさにロックバンドとしての完成形を観た。 成長してようやく少しずつ英語を覚えて、彼らの歌詞を改めて味わってみると、その真の意味に気づくことができた。陽気で明るく、西海岸の乾いた風のような音の影に、アメリカ社会が抱える闇や、人間の卑屈さやずる賢さへの深い洞察が散りばめられていた。西海岸の乾いた風は、急にヌメッとした、夏の終わりの由比ヶ浜みたいな、人間臭い感触に変わった。 グループの中で一番明るく、いつもにこやかで、気さくなおっさんだったグレン。しかしイーグルスファンの僕から見て、彼は多分性格が悪かったと思う。もちろん、ステージでそんな素振りは見せないけども、やっぱりなんとなくわかる。彼は頭がよく、才能に溢れていたが、おそらくグループのドン・ヘンリー以外のメンバーには、皇帝のような振る舞いをしていたはずだ。ドン・フェルダーが突然クビになって裁判にまでなったけども、あれだって絶対グレンが独断で決めたに違いないんだ。 イーグルスのファンだとか言っておきながら、僕は彼が病の床に伏せているのを今日まで知らなかった。なんでも、関節リウマチ、大腸炎、それに肺炎に悩まされていたという。それは苦しかったことだろう。おそらく、死よりも辛い闘病生活だったに違いない。月並みだけども、ようやく彼は苦しみから解き放たれたのかもしれない。 ここまで言っといてなんだが、僕はイーグルスの曲をあまり頻繁に聞かない。ずっと溜め込んで、聴きたくて聴きたくてたまらなくなるまで我慢して、「Desperado」の掠れた声とか、「New Kid in Town」の明るいんだか暗いんだかわからない世界観に浸るのだ。 それは多分、彼らの曲に飽きてしまうのが怖いからだ。僕は一生イーグルスを聴き続けたくて、聴きたくてたまらなくなった時に、体中の細胞に染み込ませるように取り入れるんだと思う。 グレン・フライが死んでしまった。今日は聴きたくてたまらない日だけども、泣くからやめよう。

MarkeZineで連載を開始しました

2016年1月18日|Categories: お知らせ|

本日より、翔泳社さんのMarkeZineさんにて連載を開始させていただきました。 <a href="http://markezine visit their website.jp/article/detail/23548" target="_blank">ついに日本上陸。バイラルメディアの代名詞「BuzzFeed」がもたらすものとは   テーマは、Webサービスの海外トレンドで、主に海外で流行しているサービスの解説や、日本への影響などについて書ければなと思っております。 MarkeZineさんといえば、Webの、特にマーケティングをやる人の間で知らない人はいないほどのメディアであり、連載を持たせてもらうということは大変誉れ高きことと受け止めつつ、大きな責任も感じている次第です。 今後共、こういった形で360度全方位に媚を売って生きていきたいと考えておりますので、何卒よろしくお願い致します。

SMAPは解散して、YouTuberになってくれないかな

2016年1月17日|Categories: 日々, 経済・社会|Tags: |

事実は知らないので、一連の報道を全部鵜呑みにした前提だが、SMAPのメンバーが事務所を辞めたいということで揉めているらしい。 誰が辞めて誰が辞めないのかはどうでもよい。また、別々の事務所になることでSMAPという名称やグループ活動ができなくなることも致し方ない。 しかしもし事務所を辞めた場合、全力で各方面に圧力をかけ、エンタメの世界から抹殺しようとしているという報道が事実だとしたら、なんというヤクザ稼業か。 芸能の世界には「興行師」をはじめ、そっちの人たちが幅を利かせているのは事実だろうが、それにしたってやり方が不味すぎないだろうか。これが一般の企業なら、たとえば社員が競合他社に引き抜かれたとして、そのせいで個人的に圧迫を与えたりしたらほぼ犯罪だろう。 それだけ芸能の世界が狭いということかもしれないが、とにかくそんな慣習がまかり通っているような業界は普通ではない。 だからSMAPはもう解散して、解散しなくてもいいんだけど、テレビをはじめとした魑魅魍魎渦巻く世界を飛び出し、ネット配信とかで活動したらいいのにと思う。彼らほどの人気があるのなら、おそらく今と同じかそれ以上の対価も稼げるだろう。 日本のテレビ業界や芸能事務所のしがらみの中で器用に泳ぎ回らなくても、実力だけで勝負して結果を残せる世界が既にある、ということを彼らが示してくれたなら、日本のエンタメ界全体にとってもいいことなんじゃなかろうか。

「最初はグー」がもたらす経済的損失

2015年10月20日|Categories: 日々, 経済・社会|

重ね重ね思うに、ジャンケンというのは素晴らしい発明である。Wikipediaによると、その誕生は19世紀後半と意外と浅いものの、これから何世紀を経ても、それがなくなるとは思えない。 まず評価できるのが、その公平性だ。基本的に、手の平さえ動けば誰でもこの勝負に参加可能。容姿や富、体力や政治力など、ジャンケンの前では無力だ。人間が高度に進化し、頭髪や体毛がなくなって、よしんば指が6本や10本になったとしても、グーチョキパーの形態は失われないだろう。 たとえ、何らかの理由で手が使えない場合も、声や足、なんだって代用できる。ジャンケンの機能性の真髄はそこにはないのだ。 ジャンケンが真に美しいのは、「三すくみ」という様式である。わずか三種類の「手」は、明確な強弱属性を持ち、完璧なバランスを保っている。 しかし、実際の勝負を行うにあたり、これが完全に運に委ねられるかというとそうでもない。「二手前はグー。一手前もグー…… となると、次にグーを出す確率は……」。ジャンケン中の脳では、そんなヒリヒリする思考活動が繰り広げられているのだ。そうは言っても、突き詰めていけば結局運ではないか。いやしかし…… この堂々巡りである。ジャンケンは深い。 その素晴らしきジャンケンに対し、しかし近頃気になることがある。それは「最初はグー」という慣習に対してである。 あなたはここ最近ジャンケンをしたろうか。その時、「最初はグー」と言わなかったろうか。今一度、胸に手を当てて考えてみて欲しい。本当に「最初はグー」は必要なのかどうかを。 現代のジャンケン事情を鑑みるに、「最初はグー」はジャンケンとほぼセットだと言って良い。いきなり「ジャンケン……」とやろうものなら、「最初はグーでしょ!」と怒られかねない始末だ。そんなことはどうでもよい。ただジャンケンをしたいだけなのに。 くだらない話だと吐き捨てたくなる気持ちはわかる。私もそう思う。最後まで何の結論もない。 しかしこれは、日本人の思考能力の衰えが生まれる可能性において、意外と重要な問題かもしれない。ジャンケンの醍醐味は「ジャン、ケンッ……」というコンマ何秒の間に思考を巡らせるところにある。相手の性格、クセ、生まれ育った環境、価値観、恋愛観、血液型、兄弟何人いるのか、芸能人で言うと誰に似てると言われるか、初デートにはどんな所に連れて行ってもらいたいのか……そんな数多くの要素を取捨選択しては、3種類の手から1つを選択する高度な思考活動だ。 ここまでのことを一瞬で考えるわけだから、脳への負担は尋常でない。その面で「最初はグー」をクッションとして入れたい気持ちは重々理解できる。 しかしどうですか。それによって、我々の反射的思考力はどんどん衰えていませんか。人間は、放っておく楽な方に傾いていきますよ。すぐタクシー乗っちゃうし。 我々はそろそろ、ジャンケンのたびに発生する「最初はグー」の1秒あまりが、無為な時間であることを認識すべきだ。人生であと何回ジャンケンをするか分からないが、その積み重ねは3、4年になるはずである。これはもうちょっとした懲役だ。人生は短い。一生のうち3年を「最初はグー」と過ごして、果たして君はいいのか。